2016年07月18日

被害妄想は深渦する(3)

「子どものことは、全てお前に任せてある」と、以前、不登校を持つ父親達は言ったが、彼の父親は違っていた。息子のことを本当に心配し、何とかしてあげたいと思っていた。


彼が不登校になってから、息子には何も言わなかったが担任に電話を掛け、相談に行った。

いじめの有無を聞いたが、本人のいう級友からの無視やしかとは、教師の見ているところでは、起こってないし、他の教師も目撃していない。いじめによる暴力事件や脅しから金銭被害などははっきりとわかるが、無視やしかとは、わかりにくいと話す。


暴力や脅しによる金品を奪うことは、いじめというより傷害事件です。いじめはもっと些細なことから起るのでしょう。しかし、いじめも犯罪ですよね。それが、学校内で起った。加害者は誰なんですかと担任に詰め寄ったが、担任は先ほども言ったが事実確認ができない。さらに、生徒一人ひとりに聞いても何にも言わない。それどころか、彼の被害妄想ではないか、勝手に思い込んでいるのではと言う生徒までいる。


京都、奈良への修学旅行のグループ行動での企画立案、予定表作り、なにも協力しない。皆、部活動で忙しく、それでも時間をやりくりして作り上げた。本当は帰宅部の彼が率先してやってくれれば、助かったのに何もやらず、旅行ではお付きの人のように行動する。


それでも、皆、仲間だと思い非難せずに、彼を庇っていたんです。息子が言っていた「自分にも原因があるのではないか」の根拠なのだろう。

それにしても、おかしい、そういう客観的事実があれば、無視やしかとは起るかもしれないと予想出来る筈なのに、担任は目撃してない、そのような情報はないとの一点ばりだった。


中学生はまだ心身ともに未成熟である、誤りも判断ミスも起る。それを、認め、指導し、教育して、一人前の大人にさせるのが、先生や保護者としての大人の役割ではないのか、事実関係だけを重んじ、管理することに終始するやり方は教育ではないのでは・・・。

虚しい想いで、父親は学校を後にした。


その後、父親は担任とは話し合いが、並行線なので、校長への面会を希望したが、担任と意見が同じことを理由に叶わなかった。


学校側の管理能力を責めているのではない。まして、加害者は誰なのか、謝罪してくれと言っているのでもない。ただ、息子の級友や学校への不信感をぬぐい去るヒントが欲しかったにすぎないのに・・・。

息子と同じように無念の気持ちだけが残った。


その当時、息子が言った。「いじめられるのは弱い奴、しかし、いじめ自殺した奴は英雄になり、死ねない奴は虫けら同然になる」と、言った息子の気持ちが、担任との話し合いで少しだけわかったような気がした。

posted by 牟田武生 at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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